UX Paternalism
ユーザーが求めるものや、ユーザー自身も気づかない本質について、過度に想定をたててツールを設計すること。
パターナリズム(英: paternalism)とは、強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益のためだとして、本人の意志は問わずに介入・干渉・支援することをいう。
#暗にポリコレに訴えない には反するタームですが、パット見ニュアンスが理解しやすいので暫定的にそう名付けています。「パターナルUX」「お節介UX」「決めつけUX」でも良いかもしれません。 例
ユーザーが迷わないよう、複雑なパラメーターを隠蔽し、少数のプリセットから選ばせる(フィッツの法則) 各種引用
ジョン=ホールは、DECにいながら、長いあいだUNIXシステムを擁護してきた人物だ。その彼が「パパとママはどうしてくれるんだ」という難問を発している。パパとママは、電子レンジを持っていても、機能の59%しか使わないし、台所の壁掛け電話に似ていない電話は信用しない。CDプレーヤを持っているが、4倍オーバーサンプリングの何たるかを知らない。ビデオも持っているが、録画予約の方法は知らない。要するに使い方の難しい技術は何も学ぼうとしないのだ。(中略)OpenVMSの役割は、このようなパパとママにとってもアクセスしやすいものにすることだ。DIYツールキットなどいらない、ちゃんと形になった解決策が必要だ。
これは介護的UXといったほうが良いかもしれません。
かの有名なドリルの穴理論もまた、消費者に対するパターナリズムといえます。
人々が欲しいのは1/4インチ・ドリルではない。彼らは1/4インチの穴が欲しいのだ。
『マーケティング発想法発想法』, セオドア・レビット
(国内のコンサル界隈で擦られまくっている小話なので、原典の文脈を確認すべき)
しかしこの考え方には人々が何を真に必要としているとみなすかにあいまいさが残ります。ドリルでも穴でもなく、穴を開けるという体験かもしれません。あるいは、既製品にちょうど良いものがなくDIYせざるを得なかった、ピッタリサイズの棚かもしれません。(関連:本質の境界問題 )デジタルツールについては、制作において何が本質的とするはユーザー自身に最大限委ねるべきです。 読むべき文献
『マーケティング発想法』 セオドア・レビット
関連項目